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4月 草津レポートこちら

3月5日(木)モニロケ「くさつ歴史こぼれ話」

3/5(木)モニロケ785は高橋さゆりと金田まりこが担当しました。
 
毎月第1木曜10時台の「くさつ歴史こぼれ話」の時間には
草津宿本陣と草津宿街道交流館の館長 八杉淳さんにお越しいただきました。
 
 
前回までは旧の草津宿あたりの歴史などを幅広くお話いただきましたが、今回からはそのお隣に位置する「矢倉」についてお伺いしました。
 
旧の草津宿を東海道に沿って南に進み、立木神社を通り過ぎて新しい草津川を越えたところから矢倉に入ります。
江戸時代には草津宿と矢倉村の境界に「黒門」が建っていて、宿場町と村が区別されていました。
 
「矢倉」という地名は古代この地に弓矢などの武器を貯蔵する倉庫が建てられたことに由来します。
古くからの地名はその土地の特性や地形、歴史などを表すことが多いそうです。
 
この矢倉には「居住組」という組織があります。もともと若宮八幡宮あたりに住んでいたのですが、江戸時代になり草津宿を大きく見せようという拡張・整備のために矢倉村から東海道沿いに移住させられた人々のことを「居住組」と呼んでいます。
 
「居住組」は400年以上の歴史があり、矢倉の伝統行事「サンヤレ踊り」と「草木祭」を長年受け継いできました。
 
「サンヤレ踊り」は雨乞いや厄病除けなど暮らしの安穏を祈る風流踊り(ふりゅうおどり)で2年に1度5月3日に立木神社に奉納されます。草津には7カ所のサンヤレ踊りがあり「草津のサンヤレ踊り」として日本遺産に認定されました。
 
「草木祭」は秋の収穫祭で、最初に獲れたお米で串団子を作り若宮八幡宮にお供えして収穫に感謝した後、「共食」といって神さまと地域の人々が一緒にお団子を食べるお祭りです。
 
この2つのお祭りとそれを受け継ぐ人々は去年上映された映画「さぁ~行こか!」のテーマになっています。
 
地域の文化財は限られた人が守って伝えるという姿勢から、地域住民みんなで温かく見守り支援しながら受け継いでいこうという姿勢に考え方がだんだん変わってきているとのことです。
 
「くさつ歴史こぼれ話」次回は4/2(木)にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…
 
 

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