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3月 草津レポートこちら

11/7モニロケ「くさつ歴史こぼれ話」

11/7(木)モニロケ785木曜日、今日は高橋さゆりと金田まりこが担当しました。
 
毎月第1木曜日は「くさつ歴史こぼれ話」
草津宿本陣と草津宿街道交流館の館長 八杉淳さんをお招きして、
今回は「草津宿その後③」として旧の草津宿の明治時代から現代までの移り変わりについてお話をおうかがいしました。
 
まず草津マンポ入口近くにマンポとほぼ同じ時期の明治20年レンガ造りの草津警察署が完成します。
木造が一般的だった旧の草津宿で東海道と中山道の分岐点に建てられたレンガ造りの建物は当時たいへん珍しく、
近代化を象徴するものとして人々は時代が変わったことを実感したようです。この建物は昭和50年代半ばに明治の洋風建築の風情を残して改築され、現在は草津まちづくりセンターになっています。
 
また明治になって日本中に起こった廃仏毀釈(仏教を排斥してお寺や仏像を破壊する運動)の影響を受け、
それまで神仏習合で立木神社の境内にあった神宮寺が一緒にあるのはよくないということで少し離れた横町に移転し、
今も住宅街の中にひっそりと建っています。
 
草津宿本陣は明治に入って郡役所や公民館など公共の建物として使われてきましたが、
傷みが激しくなってきたため平成元年~8年にかけて修復工事をした後「国の史跡 草津宿本陣」として一般公開されています。
この修復工事は建物をばらして使える材木はすべて使い、傷んだ部分だけ新しい材木を継いで、
柱も番号をつけてすべて元あったところに戻すというたいへんな手間をかけて再建されました。
本陣がこれだけの形で完全に残っているのは全国でもまれな存在とのことです。
 
旧の草津宿のすぐそばを流れる草津川は江戸時代から天井川化が進んでいましたが、
明治の終わり草津小学校の卒業記念で土手に桜を植えたことからやがて桜の名所となります。
しかしこの天井川は草津市内を南北に分断しているため平地河川化しようと工事が始まり、
平成14年新草津川が完成し草津川は廃川となります。現在は草津川跡地公園が完成して市民の新しい憩いの場所になっています。
 
「くさつ歴史こぼれ話」次回は12/5(木)にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…
 

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