毎月第1木曜10時台の「くさつ歴史こぼれ話」の時間には、草津宿本陣と草津宿街道交流館の館長 八杉淳さんにお越しいただきました。
今回は江戸時代に草津宿を何度も襲った洪水についてお話いただきました
草津宿のそばを流れる草津川は川底が民家の屋根よりも高くなっている天井川なので、大雨が降ると時々氾濫して洪水を引き起こしました
特に享和2年(1802)は6月28日29日と大雨が続き川の水が増えてきため宿場の人々は土のうを作って堤防を補強したり、危険を感じて高齢者や女性子どもを先に避難させたりしたのですが、草津宿よりもっと上流の部田村(へたむら、今の青地あたり)で堤防が決壊したため結局草津宿にも大量の水が流れ込んできました
今の市役所のあたりで2~3mの高さまで水が来たそうです
人々は屋根にまたがったり木に縄を巻きつけ自分が流されないようにしましたが、流れた家300軒、流された人は数百人、おぼれて亡くなった人40人余り…と非常に大きな被害を出しました
この時たまたま東海道を旅していた滝沢馬琴(南総里見八犬伝の作者)は「洪水のため4,5日たった7月3日に案内人を雇って裏道を抜けながらようやく草津宿に入ることができた」と旅日記に書き記しています
この大洪水で建物とともにたくさんの書き物が流失してしまったため過去の歴史的な部分たとえば草津宿ができた当初のようすなどが残念ながらわからなくなっています
ただし草津宿本陣は大福帳(本陣の宿帳)などが蔵の中に大切に保管されていたため幸いにも流されずに済み、江戸時代初期の本陣を知る大変貴重な資料となっています
草津川はそれ以降も何度も洪水をひき起こし、問屋場(といやば、宿場町の役所)が流されてしまったので向かい側に仮の問屋場を作ったとの記録も残されています
草津川は普段は水のない砂川でもいったん大雨が降ると氾濫する危険がある天井川なので、草津宿をはじめ周辺の人々は大変苦労していたことが想像できます
「くさつ歴史こぼれ話」次回は7月1日(木)にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…