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7/2(木)モニロケ785「くさつ歴史こぼれ話」

7/2(木)モニロケ785木曜日は高橋さゆりと金田まりこが担当しました。
 
毎月第1木曜10時台の「くさつ歴史こぼれ話」の時間には
草津宿本陣と草津宿街道交流館の館長 八杉淳さんにお越しいただきました。
 
今回は矢倉シリーズの4回目最終回として、矢倉で生まれた名産品や伝統工芸品についてお話をおうかがいしました。
 
1.うばがもち
浮世絵にも描かれている草津の名物です。その起源は諸説あるのですが、名所図会という江戸時代のガイドブックには織田信長に滅ぼされた佐々木氏の遺児を託された乳母が郷里の草津へ帰り、子どもを育てるために餅を作って旅人に売ったのが始まりだと書かれています。
 
徳川家康もこの餅を食べて乳母をたたえたとも伝わっていて、それが大きな広告になり旅人は草津の矢倉へ来たらうばがもちを食べたそうです。
 
今のうばがもちと比べるともっと大ぶりで形も違っています。当時は歩く旅なので腹持ちのいいものが好まれ、貴重な甘みで旅の疲れを癒しました。
 
またうばがもちの茶店も江戸時代は東海道と矢橋道の分かれ道で矢倉の道標がある所に建っていました。
「勢多へ回ろか 矢橋へ下ろか ここが思案の うばがもち」と歌も詠まれ、茶店のようすは浮世絵にも描かれました。
 
明治に入り山田港に汽船が着くようになると山田へ向かう道で立木神社の近くに店を出します。
やがて鉄道が通り明治22年に草津駅ができると駅前に店を構えます。
 
昭和になって国道1号線が通ると国道沿いに店を出し、これが現在のうばがもちや本店です。
交通の要衝草津で育った名物だからこそ、人の流れを見すえて出店する先見の明がありました。
 
2.竹根鞭(たけねむち)
細くて節がたくさんある竹の根を使って作られたのが竹根鞭です。江戸時代には馬のムチとして馬に乗る武士が買い求め、矢倉には鞭を作る人が多くいたようです。
 
明治に入って馬のムチの需要がなくなると、竹根鞭細工としてステッキとか土瓶や傘の柄が作られました。
特にステッキは海外進出を果たし、ヨーロッパで紳士の愛用品として大流行しました。
 
明治24年大津事件が起きた時にロシアの皇太子を襲った暴漢を抑えるのに草津産のステッキ使ったということで、ヨーロッパで一躍有名になりました。また映画スターのチャップリンが持つステッキも竹根で作られた草津のステッキでした。
 
3.ひょうたん
江戸時代旅人が水や薬を入れる器として使われたひょうたんは今の水筒やペットボトルのようなもので旅の必需品でした。
軽くて持ちやすく重宝だったのですが、収穫してから飲み物の器にするまでの手間がかかることからひょうたんは高級品でした。
 
ひょうたん6つで「むびょうたん」つまり無病息災につながる縁起物として買い求める人も多く、矢倉にはひょうたんを売る店が何軒かあったようです。
 
今は瓢泉堂が1軒だけ残っていて、江戸時代うばがもちの茶店が建っていた東海道と矢橋道が分かれる所にあり店先には矢倉の道標が昔のままに立っています。
 
「くさつ歴史こぼれ話」次回は8/6(木)10時台にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…

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