草津宿街道交流館の館長 八杉淳さん「くさつ歴史こぼれ話~江戸時代の旅 その3~」 10/1(木)モニロケ785 放送

10/1(木)モニロケ785木曜日は高橋さゆりと金田まりこが担当しました。
毎月第1木曜10時台の「くさつ歴史こぼれ話」の時間には
草津宿本陣と草津宿街道交流館の館長 八杉淳さんにお越しいただきました。
今回は「江戸時代の旅 その3」として前回の続きからお話をおうかがいしました。
江戸時代は誰もが旅に出られるようになる一方、今の時代と比べると危険も伴います。
出発する時は「村送り」といって村人たちが総出で村境まで見送りました。
そこでお酒を酌み交わして別れを惜しみながらいよいよ旅立ちます
名所図会という江戸時代のガイドブックにも「村送り」の風景が描かれているそうです。
そして旅から帰ってきた時も村人総出で「よく帰ってきた」と迎えに出ます。
旅人は1日10里(約40Km)を歩くというのが基本です。
東海道53次の宿場間の距離が平均11か12Kmなので、1日で宿場町3つ分を歩くという計算になります。
たとえば京立ち(京都を出発)でその日のうちに東海道なら石部宿泊まり、中山道なら守山宿泊まりと言われました。
逆に東海道のぼりなら鈴鹿峠を越えた土山宿を出発してその日のうちに草津宿まで歩きます。
具体的に京都から石部まで1日で歩くとイメージするとその距離の長さに驚きます。
しかもその距離を毎日歩き続けるわけですから、江戸時代の旅人がいかに健脚だったのかがわかります。
足元はわらじを履いているのですが1日歩いたらダメになるのでわらじを売るお店が至る所にあり、朝新しいわらじに履き替えて出立します。
また使ったわらじを捨てる場所も道沿いにあって、集められたわらじは田畑の肥料としてリサイクルされたそうです。
旅人は明け方4、5時に宿を出発して夕方3、4時ごろまだ明るいうちにその日の宿に着くように歩きます。
というのは庶民の宿・旅籠(はたご)は相部屋なので、なるべく早く着いていい場所を確保したいとか、お風呂のお湯がきれいなうちに入りたい…という思いがあったようです。
また当時は提灯や行燈(ちょうちんやあんどん)の灯りしかなかったので明るいうちに動いて宿でお風呂と食事を済ませ、日が沈めば眠るようにしていました。
当時のこうした旅のようすは幕末に来日したアーネスト・サトウの日記に詳しく書かれています。
江戸時代の旅は大変なところもたくさんあるのですが、それでも世間を広めるために旅先でいろんなものを見たい…という思いで人々は旅に出るようになりました。
「くさつ歴史こぼれ話」次回は11/5(木)にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…

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