1/7(木)モニロケ785木曜日は高橋さゆりと金田まりこが担当しました。
毎月第1木曜10時台の「くさつ歴史こぼれ話」の時間には
草津宿本陣と草津宿街道交流館の館長 八杉淳さんにお越しいただきました。
今回は「江戸時代の旅 その5」として前回の続きからお話をおうかがいしました。
江戸時代は情報が多く出回った時代でもあり、限られた人だけではなく一般の人々もいろいろな情報を得ることができました。
また多くの人が旅に出るようになり、いろいろ見聞きしてきたことを口コミで伝えていました。
さらに江戸時代の中ごろになると木版刷りの技術が発達して出版物が次々と発行されるようになり、同じ情報を多くの人が共有するようになってきます。
旅の出版物として、たとえば「東海道名所図会(めいしょずえ)」は今でいうA4サイズくらいの絵入りの本で、それを見ながら東海道を歩く旅を想像したり後で旅を振り返ったりします。
そのほか着物の袖に入れられる袖珍(しゅうちん)という文庫本サイズの道中案内記もあり、旅の必需品として持ち歩きました。
この道中案内記は道に沿って本の上半分に絵地図、下半分にそれに合わせた説明文が克明に記されています。
たとえば京都を下って東海道を草津へ向かうと順番に南笠→老上川あたりのおおかめ茶屋→野路の一里塚→矢倉のうばがもちや→草津宿に入る→草津川の手前で道しるべ(中山道まっすぐ東海道右へ曲がる)という具合に細かく書かれているので一般の人々が旅をする時のよりどころとなりました。
この案内記を見ながら歩いて、一里塚で距離をはかったりお昼はどこで食べるとか今日はどこまで行ける…と計画的に旅をしたようです。
江戸時代一般の人々の識字率(文字が読める割合)は6,7割とかなり高めなので、多くの人が道しるべの文字や印刷物が読めたということです。
また文庫本サイズの木版に絵や小さな字を彫って刷るのは難しい職人の技であり、浮世絵と同じように相当高い出版技術が江戸時代には生まれていました。
道中案内記は一度旅をすると次に旅する人に譲るのですが、後から旅をする人は新しい情報を本に墨で書き入れていきました。
だから最初は簡素な出版物であっても実際に出かけて目で見て体感した経験をもとにどんどん情報を書き足していき、新しくて正確な情報を伝えていくという時代背景がありました。
「くさつ歴史こぼれ話」次回は2/4(木)にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…