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4/7(木)モニロケ785「くさつ歴史こぼれ話」草津宿の役人(宿役人 )について

4/7(木)モニロケ785木曜日は高橋さゆりと金田まりこが担当しました。

毎月第1木曜10時台の「くさつ歴史こぼれ話」の時間には

草津宿本陣と草津宿街道交流館の館長 八杉淳さんにお話をおうかがいしています。

今回は草津宿の役人(宿役人 しゅくやくにん)についてお話いただきました。

宿場町の運営を任されていたのが宿役人です。その一番上に位置するのが問屋(といや)、続いて年寄、荷物をどの馬に乗せるのか馬の差配をする馬指(うまさし)、人足に荷物を持たせる人足指(にんそくさし)、それらの下働きをする者に分かれていました。

記録によると草津宿では24人の宿役人が8人ずつ3交代で問屋場(といやば)とよばれる施設に務めていました。

宿場のすべてを取り仕切る大切や役目ですが給金は高くなく、草津宿の有力者らが入札(いれふだ)という選挙で選ばれる名誉職でした。

現存する草津宿本陣やもう一軒あった九蔵本陣の当主も宿役人を務め、絶えず運営にかかわっていました。

幕府の道中奉行から取締りの規定などの文書が江戸から街道を順番に回ってくると、それを書き写して公的な記録として残し次の宿場に文書を回すという仕事もありました。残念ながら草津宿には公的な記録は残っていませんが、私的に写し取ったもの(手控え)はその一部が残っています。

問屋場の重要な仕事は継立(つぎたて)といって荷物を隣の宿場町まで送り届けることですが、草津宿の隣は東海道が石部宿と大津宿、中山道が守山宿、そのほか矢橋の港と4か所からの荷物が行き来するので相当な仕事量でありました。

また運ぶ荷物は武士のものが多いのですが取り仕切る宿役人は町人であることから身分の違いによるもめ事なども起きたようです。

朝に宿を出立する時、駕籠(かご)の手配をしていたにもかかわらず来ていなかったとか、出立しようとしたら荷物の準備がまだできていないあるいは荷物を取り違えてしまったなどの細かいトラブルは日常茶飯事で、宿役人がいなければ宿場町の運営が成り立ちませんでした。

「くさつ歴史こぼれ話」次回は5月5日(木)の10時台にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…

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