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6/2(木) モニロケ785 「くさつ歴史こぼれ話」

6/2(木)モニロケ785木曜日は高橋さゆりと金田まりこが担当しました。

毎月第1木曜10時台の「くさつ歴史こぼれ話」の時間には草津宿本陣と草津宿街道交流館の館長 八杉淳さんにお話をおうかがいしています。

今回は東海道と中山道についてお話いただきました。

東海道五十三次では草津宿は52番目の宿場町になります。では53番目は?と聞かれると多くの方が京都と答えますが本当は大津宿です。

「五十三次」というのは東海道の江戸と京都の間に53の宿場町があってそこで荷物を継ぎ立てるという意味の「次」です。

継ぎ立てるとは隣の宿から運ばれて来た荷物を人足と馬を交代してリレーのように次の宿へ送り届ける仕組みのことです。

だから東海道五十三次では江戸と京都は数えません。1番目は品川宿でそこから進んでいくと草津宿は52番目で大津宿が53番目となります。

ただし幕府の定めた東海道は五十三次ではなく大津の追分から道が分かれて伏見→淀→枚方→守口→大阪までと東海道五十七次となっています。

この道は京都の市中には入りません。西国から参勤交代で江戸に向かう行列を京都市中に入れない、つまり大名が京都の朝廷と結びつかないように伏見に奉行所を置いて警戒していました。

東海道が五十三次として有名になったのは歌川広重の浮世絵のおかげです。大名行列とは違って一般の人は京都市中に入ることができたので特に関東の人々にとっては京都はあこがれの地であり、浮世絵が描く東海道五十三次が江戸から始まって終点が京都であることにロマンを感じていたようです。

東海道五十三次の浮世絵は53の宿場町と江戸日本橋と京の三条大橋で55枚それに内裏(だいり)つまり御所をふくめて56枚で作られることが普通でした。

一方中山道は江戸と草津を結んでいました。六十七次と宿場町の数も多く最後67番目は守山宿でその先草津宿手前の草津川が中山道の終点でした。川を渡って草津宿に入ると道は東海道となって京都に向かいます。

東海道は大きな川をいくつも渡らなければならず天候によっては川留めされる危険性もありました。東海道と比べると中山道は30Kmほど長く険しい山道が多いのですが、自然に左右されることが少なく旅の日程が読めるので大切な通行は中山道を通りました。

昔の旅はわらじで長距離をひたすら歩くので体力がないとできない大変な旅だと想像しますが、歩くからこそ見える旅の景色を楽しんだのではないでしょうか。

「くさつ歴史こぼれ話」次回は7/7(木)の10時台にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…

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