7/7(木)モニロケ785木曜日は高橋さゆりと金田まりこが担当しました。
毎月第1木曜10時台の「くさつ歴史こぼれ話」の時間には
草津宿本陣と草津宿街道交流館の館長 八杉淳さんにお話をおうかがいしています。
今回は草津市のお宅から発見された資料「道中こづかい帳」についてお話いただきました。
この資料は幕末の弘化3年(1846)に伊丹の商人 紙屋吉兵衛が仕事で江戸へ向かい、再び伊丹に戻るまでの旅にかかった費用が書かれたものです。
たとえば伊丹を出発して途中の神崎から大阪まで駕籠(かご)524文、大阪から1晩かけて伏見まで舟で832文、伏見から大津を通って草津宿で「いせや」という旅籠(はたご)で宿泊、翌日は草津から東海道を石部まで駕籠772文、それから鈴鹿峠を越えて坂下宿で宿泊…という具合に旅の道のりと実際にかかった費用が細かく書き留められています(1文は約12円)
この旅人はよく駕籠に乗っていることから、かなりゆとりのある贅沢な旅をしていたことがうかがえます。
また何に使ったかは特に書かれていないのですが毎日400文~500文(4800円~6000円)のこづかいを旅費とは別に使っていたようです。
こうして13日かけて江戸へたどり着き、仕事で2か月滞在します。
帰りは中山道を通るのですが、順風満帆だった行きとは違って帰り道は雨や災害にたたられる旅となります。あちらこちらで川留めにあい往来が止まって遠回りを余儀なくされ、こづかい帳には「恐ろしきことなり」と書かれています。
それでも信濃の諏訪大社では「御柱祭」という木おろしの神事を楽しんだことが書かれ、物見遊山の旅でもあったことがわかります。
旅をした弘化3年は災害が多かった年で、京の三条大橋や五条大橋も落ちてしまったという別の記録も残されています。
結局22日かけて伊丹へ帰り着きますが、もし帰り道を中山道ではなく東海道を選んでいたら川幅が広いのでもっと日にちがかかったと思われます。
旅費の総合計は58貫576文(およそ70万円ほど)と相当なお金を使った旅となりました。
江戸時代の旅というとひたすら歩く旅を想像しますが、今回の「道中こづかい帳」ではお金に余裕がある人は駕籠をうまく利用しながら旅を続けるという姿が具体的にイメージできて大変興味深いお話でした。
「くさつ歴史こぼれ話」次回は8/4(木)の10時台にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…