8/4(木)モニロケ785木曜日は高橋さゆりと金田まりこが担当しました。
毎月第1木曜10時台の「くさつ歴史こぼれ話」の時間には草津宿本陣と草津宿街道交流館の館長 八杉淳さんにお話をおうかがいしています。
今回は江戸時代の農業の中で害虫を駆除するための儀式「虫送り」についてお話いただきました。
「虫送り」とは?
農村では3月4月にお祭りがありその年の豊作を祈る神事を奉納してその後に田植えをします。
やがて稲が生長する7月8月になると稲を食べる害虫を退散させる儀式として「虫送り」が行われました。
村人が鉦(かね)や太鼓をたたき夜には松明(たいまつ)をかかげて、イナゴなどの害虫やいもち病菌を村の外に追いやったり川や琵琶湖に流したりしました。
記録に残る草津の「虫送り」
記録によると1771年追分村の稲や大根にいもち病菌が入ったので8/9~11の3日間「虫送り」をして退散させたとか矢倉村の稲に虫つきが激しい…などと書かれています。
また草津宿内でも稲にイナゴが発生して「虫送り」をしたことを膳所藩に報告しています。これは害虫による被害のために例年通り年貢をおさめることができない可能性がある…という伏線を張っていたのかもしれません。
当時の農業技術書「徐蝗禄(じょこうろく)←蝗(こう)はイナゴのこと」にも「虫送り」の記述があり江戸時代には全国的に行われていた儀式でした。
今と違って農薬などがない時代なので害虫や病原菌の駆除を必死に神頼みしていたようです。
また「虫送り」とともによく行われたのが「雨乞い」の儀式で、同じように鉦や太鼓を鳴らして雨を招いていました。
記録によると1853年日照り続きで常盤の名束(なつか)村では田畑が真っ白になり用水にも水がないとか、野路村では500反余りの田畑はなはだ見苦しく…などと克明に書かれています。
こうした儀式は個人個人でやるのではなく1つの村の共同体として行われたのが大きな特徴であり、収穫の秋を前にして夏には虫送りや雨乞いの鉦や太鼓がそこらじゅうで鳴り響いていたようです。
現代ではそのような非科学的なことで虫を駆除したり雨を降らせたりするのはあり得ないと考えますが、江戸時代の農民は何とかして収穫できるようにと真剣に神様に祈っていたのだろうと想像できます。
「くさつ歴史こぼれ話」次回は9/1(木)10時台にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…