8/18(木)モニロケ785木曜日は高橋さゆりと金田まりこでお送りしました。
「いきいき草津」前半は「草津古文書学習会」会長の水野貴久子さんと副会長の中後佐知子さんにお越しいただきました。
「草津古文書学習会」について
草津古文書学習会は平成8年に市の古文書教室に集まったメンバーがその後自主サークルを立ち上げたもので、25年間活動を続けています。
街道交流館から提供を受けた街道の資料のほか草津近辺の庄屋関係の文書などを解読して、今までに目録や翻訳文を3冊発行しています。
講師の方に教えていただく受け身の学習会ではなく、会員同士が自分たちで調べて教え合うという形をとってきたので長く続けてこられました。
「小森家日記 嘉永3年~7年」の翻訳からわかる当時の草津の様子
今回「小森家日記 嘉永3年~7年」を翻訳して、会が発行する3冊目の本としてまとめられました。
小森家は現在の草津市上笠で酒や醤油の醸造業を営み、また青花の集荷・青花紙の販売なども手掛けて財を成した豪農で、幕末には領主の淀藩主に何百両も貸すなど金融業も手広く行っていました。
「小森家日記」は小森岩太郎重慶が家業の業務日誌として書き残したものですが、日々の仕事などが丁寧に記録されており幕末期の草津の様子を知ることができます。
日記なので毎日天気が書かれていて、強い風が吹く「しまけ」とか夕立で真っ白になる「白雨」など表現方法も細やかで独特です。幕末5年分の毎日の天気だけでも今では貴重なデータとなります。
日記の中で特に興味深いのは嘉永7年(1854年)の伊賀上野地震についての記述で、上笠でも建物が壊れたことや余震が怖くて外で寝たこと、余震がいつまで続くのか占い師にお伺いを立てたことなど非常に混乱した様子が書かれています。江戸時代でも情報伝達が意外と早く1週間~10日の間に各地の被害状況が伝わっています。
そのほか日照りが続いて田植えができないとか雨が続いて草津川が氾濫したことなども書かれ、自然災害に苦しむところはいつの時代も変わりません。
また異国船が大阪に来航した時は槍を持って出陣したり防衛のため増税があったことなども書かれ幕末の不安な世相がうかがえます。
さらに今はもう廃れてしまった風習など日記に残されているからこそ初めて知る貴重な記録もあります。
今後の活動について
今回「小森家日記」を出版したことは毎日新聞京都版にも掲載されたので反響も大きく、京都で古文書解読しているサークルの方と横のつながりができたとのことで、25年続けてこられた古文書の勉強が着実に花を開いて実を結んでいます。
これからは守山の宮大工さんが残した絵図面付きの古文書の出版をめざして解読しています。
草津古文書学習会は毎月第2金曜日9時~12時まで草津まちづくりセンターで活動しています。
初心者でも決まった文言が読めるようになると難しくないそうです。興味のある方はぜひ一度見学に行かれてはいかかでしょうか。