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9/1モニロケ「くさつ歴史こぼれ話」~草津市の鉄道と駅について

9/1(木)モニロケ785木曜日は高橋さゆりと三井(みい)まりこが担当しました。
毎月第1木曜10時台の「くさつ歴史こぼれ話」の時間には
草津宿本陣と草津宿街道交流館の館長 八杉淳さんにお話をおうかがいしています。

草津宿本陣と草津宿街道交流館の館長 八杉淳さん

今回は鉄道と駅についてお話いただきました。
今年は日本初の鉄道が新橋ー横浜に開業して150年という記念の年になります。

東京ー神戸までの東海道線が全線開通したのが明治22年、この年に草津駅も完成しました。
それまでは東からの鉄道は東京→名古屋→大垣→関ヶ原→長浜まで
西からは神戸→大阪→京都→膳所→浜大津まで…となっていて
長浜ー浜大津の間は琵琶湖の船で結んでいました

船では不便だということで近江商人を中心に琵琶湖の東側にも鉄道の敷設を求める運動が起きて東京ー神戸の間に最後に残る滋賀県内の区間にも鉄道が敷かれ明治22年東海道線が全線開通しました。

江戸時代 草津宿は東海道と中山道の分岐点でしたが、それと同じように明治時代の草津駅は東海道線のほかに草津から三重県を通って名古屋方面に向かう関西(かんせい)鉄道も開業しました。これは現在の草津線になります。

草津駅は江戸時代に栄えた宿場町から少し離れた大路井(おちのい)に建てられました。これは明治19年に天井川だった草津川の下をくぐるトンネル(マンポ)が完成して草津宿と川向こうの大路井が平地でつながったことが大きかったようです。
それまで宿場内にあったお店が草津駅の方に引っ越したり支店を出したりして人の動きも変わり街の中心が駅へと移っていきます。

鉄道というものがよくわからなかった頃は黒い鉄の塊が煙を吐いてすごいスピードで走ることに恐怖感を持つ人が多く、江戸時代に栄えていたところが駅を受け入れないという動きが起こり日本のあちこちで駅は街の中心から一番外側に建設されました。
たとえば京都駅は南の端に、大阪では北の端に大阪駅、南端に天王寺駅といった具合です。

しかし江戸時代の歩く旅とは違って鉄道の旅は座ったままで短時間に大勢の人が移動できるという画期的な変化であり、何年か経つと人や物が集まる駅の良さが理解されます。やがて街の中心が従来の場所から駅周辺へと逆転して街の形がどんどん変化していきます。
草津駅でも最初は東口しかなかったのが昭和42年橋上駅に変わって西口ができると駅の西側も発展し草津市の形も大きく変わってきました。

「くさつ歴史こぼれ話」次回は10/6(木)の10時台にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…

今 草津宿本陣と街道交流館では日本初の鉄道開業から150年を迎えたこの秋、鉄道に関連したイベントや展示を開催しています。
「旅のごちそう」展やミニ展示「交通の要 くさつ」のほか 9/23(金)~9/25(日)は「くさつ鉄道のつどい~宿から駅へ~」として本陣では滋賀の鉄道路線を再現した迫力あるジオラマの運転体験や草津と鉄道について学べるクイズやゲームが楽しめます。ぜひお出かけください。

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