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12/29 モニロケ「歴史のなぞ」惟喬(これたか)親王伝説と木地師たち

12/29(木)モニロケ785は高橋さゆりと北村美和と三井麻莉子でお送りしました。

第5木曜日10時台は「歴史のなぞ」

栗東市小槻大社と草津市小汐井神社の宮司を務められる宇野日出生さんにお話をお伺いしています。

今回は東近江市(旧永源寺町)に古くから伝わる惟喬(これたか)親王伝説とそれによって権威づけられた木地師たちの活動とその技術の伝承についてお話いただきました。

伝説によると平安時代の初め惟喬親王(文徳天皇の子)は旧永源寺町の山中にある集落 蛭谷(ひるたに)と君ヶ畑あたりに入山して、住人に木工製品つまり木で作ったお皿やお碗を作る技術(ろくろ技術)を教えてくださったという話が伝わっています。

天皇の子である親王がろくろを使って木工製品を作るというのは全くあり得ないことですが、長い間まことしやかな話として信じられてきました。

蛭谷と君ヶ畑2つの集落それぞれにある神社とお寺がその伝説を後ろ盾に、木地師(木工製品を作る職人)の生活を保証し技術を伝えることに尽力してきました。そのおかげで木工製品を作る素晴らしい技術が日本中に伝承しました。

神社とお寺が組織を作って全国の木地師たちを支配しその生活を手厚く保護するためにはお金が必要であり、全国の木地師をくまなく訪ね歩きお金を徴収しました。全国約一万人の名前と徴収額を記録した帳簿は生活資料としての貴重な古文書であり滋賀県指定文化財になっています。

また神社やお寺といった宗教施設が重要な役割を果たして木地師の身分を保障する見返りにお金を徴収するという仕組みは大きな利権も生まれました。

惟喬親王伝説を確かなものにする幕府や天皇が出した木地師の由緒書なども残されていますが、それらはすべて偽物(偽文書)です。しかしよくできていて物語の中に合致するものなので、偽物であっても資料としての価値が高いと評価され指定文化財になっているところがおもしろいです。

「歴史のなぞ」次回は2023年3月第5週の3/30(木)の10時台にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…

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