5/4(木)モニロケ785木曜日は高橋さゆりと三井麻莉子が担当しました。
毎月第1木曜10時台の「くさつ歴史こぼれ話」の時間には
草津宿街道交流館と草津宿本陣の八杉淳さんにお話をおうかがいしています。
今回は5/4(木)5(金)に春の一般公開があった草津市芦浦町の国史跡「芦浦観音寺」についてお話いただきました。
芦浦観音寺は戦国時代~江戸時代初めまでお寺でありながら近江国内の代官職も務めます。
また織田信長や豊臣秀吉など時の権力者との関わりも深く、船奉行(船代官)に命ぜられ琵琶湖の湖上交通を支配して重要な役割を担っていました。
三代将軍徳川家光が上洛する際には草津の志那浜から対岸の大津まで将軍が乗る船「御座船」の造船を命ぜられます。
「弁財天丸」と名付けられたこの御座船は長さ8間(15mほど)で船首には槍が飾られ、船の両側に縁がついて中に館がある立派な船でした。
ただし徳川家光以降に将軍が上洛することは幕末までなかったので、この御座船は残念ながら一度しか使われませんでした。
坂本の山王祭の船渡御に使われることはありましたが、志那の港に長く係留されたままで傷みもひどくなりやがて焼却されました。
湖上水運を一手に握り権勢を誇っていた芦浦観音寺でしたが、五代将軍徳川綱吉の時代になると全国に多くいた代官を整理することになり、芦浦観音寺も代官職を解かれ船奉行も取り上げられて天台宗の一寺院に戻ります。
しかしながら船奉行として栄えた長い歴史がある芦浦観音寺には数多くの資料が残されているほか、お寺でありながら境内を囲む堀や土塁、白壁や石垣といったお城のような外観が昔の栄華をしのばせます。
また大津の観音寺町は観音寺の焼き印を船に押して管理を任されていた代官所があった名残が地名に残り、また東京都千代田区の観音坂はかつて江戸屋敷がここにあったことを示しています。
今回5/4(木),5(金)の一般公開では将軍家光を運んだ御座船の船首に付けた槍や弓矢と矢筒などが半世紀ぶりに公開されました。
時の権力者と結びついて政治の手腕を発揮した芦浦観音寺の数々の貴重な資料をこれからも春と秋の一般公開で展示していきますのでぜひご覧ください。
「くさつ歴史こぼれ話」次回は6/1(木)の10時台にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…