6/1(木)モニロケ785木曜日は高橋さゆりと三井麻莉子が担当しました。
毎月第1木曜10時台の「くさつ歴史こぼれ話」の時間には
草津宿街道交流館と草津宿本陣の八杉淳さんにお話をおうかがいしています。
今回は江戸時代の農家の人が参考にした「伊勢暦」についてお話いただきました。
昔は農業が天候不順の影響を大きく受けた時代でした。
たとえば天保3年(1832)夏に田植えの季節を迎えても雨が全く降らず、草津をはじめ周辺の村々では膳所藩に雨ごいをする願い書を出した記録が残されています。
その数は7月だけで27件もあり相当のカラ梅雨だったことがうかがえます。
雨ごいのおかげか8月1日は夕立でしたが田畑を潤すだけの雨ではなくその年の秋は凶作となりました。
しかも凶作は翌年の天保4年~7年まで続き、有名な「天保の大飢饉」となりました。
当時の農家にとって農作業の1年のサイクルの中で田植えや虫送り(害虫駆除)、草刈りなどをいつ行うのか…をわかりやすく伝えていたのが暦(太陰暦)でした。
草津では「伊勢暦」を使う農家が多く、今でも江戸時代の庄屋さんの家には古文書として大切に残されています。
「伊勢暦」は御師(おんし)と呼ばれる伊勢神宮に所属する宗教者が年末に村へ来てお札とともに配った暦です。
御師は日本各地でお札や暦を配りながら伊勢神宮への参拝を勧め、お伊勢参りをする人を案内して参拝や宿泊の世話をするなど…今でいえばツアーコンダクターのような役目を果たしました。
その「伊勢暦」には農業暦も書かれていて、種まきや田植え、稲刈りなど農作業に最適な日を「よろし」と農民にわかりやすくひらがなで書かれていました。
昔は1年12か月のほかに大寒、立春、春分…などの「二十四節気」と節分、彼岸、八十八夜、入梅…などの「雑節」と季節の移り変わりの目安が細かく分かれ、暦にいろいろな情報が盛り込まれてそれを参考にしながら農家は農作業を進めました。
たとえば立春から数えて88日目の「八十八夜」は種まきの目安になり、「土用」は土をつかさどる土公神が支配する日なので土を耕さない、立春から数えて210日目の「二百十日」は暴風雨があるから注意…など暦や言い伝えを守って生活してきました。
それでもカラ梅雨のため雨乞いをしたり、長雨続きで悩まされたりと農業は自然との闘いでもありました。
「くさつ歴史こぼれ話」次回は7/6(木)の10時台にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…