11/2(木)モニロケ785木曜日は高橋さゆりと三井麻莉子が担当しました。
毎月第1木曜10時台の「くさつ歴史こぼれ話」の時間には草津宿街道交流館と草津宿本陣の八杉淳さんにお話をおうかがいしています。
今回は草津市芦浦町にある芦浦観音寺についてお話いただきました。
芦浦観音寺は安土桃山時代から江戸時代初めにかけて最も権勢を誇りました。
僧侶は八世 賢珍、九世 詮舜(せんしゅん)、十世 朝賢の時代で、天下人と呼ばれた織田信長、豊臣秀吉、徳川家康との結びつきを強めます。
特に詮舜(せんしゅん)は僧侶でありながら政治にも深く関与した傑僧で、秀吉に取り立てられて力をふるいました。
たとえば日吉大社や延暦寺の再興や朝鮮出兵のために琵琶湖の船頭を集めたり、伏見城築城にあたって資材を輸送したり…と秀吉の天下統一に尽力します。
特に湖上水運に関わったことで知られ、初代の船奉行として琵琶湖の船を全部掌握して船印(焼き印)を押していました。船印は今も残されていて、船奉行として活躍した時代を偲ぶことができる貴重な歴史的資料です。
こうした船は芦浦ではなく浜大津の琵琶湖に隣接したところに置いた代官所で管理していました。今その場所は観音寺町という地名が残っています。さらに江戸や京にも屋敷を持ち、小さな藩の大名よりもはるかに力がある存在でした。
境内に山門や本堂、鐘楼などが建つ普通の寺院とは違って、芦浦観音寺は中心に政務をつかさどる政所(まんどころ)があり、城郭を思わせる表門(長屋門)を中心に石垣が築かれ、周囲に堀と土塁を巡らせたお寺の景観は当時の権力の大きさを物語っています。
先見の明があって天下人と結びついた僧侶が八世から十世まで続き、逆に時の権力者にとっては協力を得やすい存在だった芦浦観音寺はお寺としては珍しい歴史をたどっています。
しかし徳川幕府の幕藩体制が確立していく中で各地の代官が粛清され、芦浦観音寺も十三世 朝舜の時に職務を罷免されて一宗教寺院に戻り表舞台から姿を消すことになりました。
国の史跡であり日本遺産にも認定されている芦浦観音寺は11月23日(祝)秋の一般公開をします。ボランティアガイドが境内をご案内しますのでぜひお越しください。
「くさつ歴史こぼれ話」次回は12/7(木)10時台にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…