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6/6(木)モニロケ785 くさつ歴史こぼれ話「本陣とは何か?」

6/6(木)モニロケ785木曜日は高橋さゆりと三井麻莉子が担当しました。
毎月第1木曜10時台の「くさつ歴史こぼれ話」の時間には草津市歴史文化活用調整員の八杉淳さんにお話をおうかがいしています。

今回は「本陣とは何か?」を歴史的なところからお話いただきました。

どうして大名宿を「本陣」と呼ぶの?

本陣とはもともと平安時代に天皇が行幸する際に輿(こし)という乗り物に乗って移動し、それを囲む一陣のことを本陣といったことから始まります。陣とは「陣を敷く」という言葉があるように戦の時に兵を配置することで、中でも総大将がいるところを本陣と呼びました。

室町時代15代将軍足利義昭が移動する時に、お寺など仮の宿所で名前を書いた札を表に掲げて泊まったことが大名の宿の起源といわれています。

関ケ原の戦いの翌年慶長6年(1601)東海道が整備されて、各地の宿場が整えられていく中で大きな建物を持つ有力者の家を大名宿にしました。
以降50年参勤交代の仕組みが出来上がったころに、大名宿では大名に対して失礼ではないか…ということで本陣という名前が街道筋に徐々に定着していきます。

東海道の宿場町と草津宿本陣

元禄時代になると一般的に本陣と称されて、宿帳として記録も継続して残すようになってきます。草津宿本陣では大福帳と呼ばれる貴重な記録が182冊残されています。
東海道53次では宿場間の距離がだいたい2里半(約10Km)で53の宿場町を5宿ほどを飛ばして宿泊します。一つの目安として「京立ち石部泊まり」と言われています。

東海道の宿場町は平均すると本陣2件、脇本陣1軒ですが、箱根宿や浜松宿は本陣が6軒もあり大きな宿場町でした。これは箱根の峠越えや浜名湖の舟渡し、川越えなど難所があることも関係があります。
草津宿は本陣2件、脇本陣は時代により2~4軒あり、東海道と中山道が合流するため通行量も多く宿場町としては大きい方でした。

本陣は幕府が運営するのではなく基本的には民営で、参勤交代で定期的に宿泊する大名家とは契約関係にあるので、建物を修理するときは利用する大名家が支援する「半官半民」という形でした。
明治時代になって社会が変わり、本陣が必要でなくなると個人の力で維持していくのは大変なことで、その多くは壊されたり建て替えられてしまいます。

しかし草津宿本陣はご当主の尽力があって守り続けてこられたので、江戸時代の街道交通の歴史を知る上で非常に貴重な建物や数多くの資料が残されています。ご当主の家系が今も続いていることも全国的に珍しいことだそうです。

「くさつ歴史こぼれ話」次回は7/4(木)10時台にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…

<お知らせ>

草津宿本陣は6/1~来年3/31まで耐震工事のため休館します。

あわせて読みたい

そのため草津宿街道交流館の常設展の一部で草津宿本陣の所蔵資料を3月まで何回かに分けて展示します。
「本陣のイロハ」6/1(土)~7/15(月・祝)…関札や大福帳の展示など 
「本陣のおもてなし(仮)」7/17(水)~9月中旬…新選組の忘れ物(煙菅入れ)の展示など 

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