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8/29(木)モニロケ785「歴史のなぞ 社殿の建ち位置」

8/29(木)モニロケ785は高橋さゆりと三井麻莉子がお送りしました。
第5木曜日10時台は「歴史のなぞ」
栗東市小槻大社と草津市小汐井神社の宮司を務められる宇野日出生さんにお話をお伺いしています。

今回は神社の社殿が境内のどういう位置に向いて建っているのか(社殿の建ち位置)についてお話いただきました。
神社は鳥居をくぐって石畳を歩き、そのつきあたりに社殿が建っているというのが一般的です。

社殿は整然として南面を向いて建ち、参拝者は北を向いてお参りするという形が多いです。
ところが境内の社殿それぞれがまちまちの方角を向いているという神社もあります。代表的なのが上賀茂神社です。

上賀茂神社は奈良時代にはすでに文献に登場している京都でも歴史の古い神社で、このあたり一帯を治めていた古代豪族カモ氏が崇敬した神さまです。
平安時代になると時の政権者は神社やお寺といった宗教施設を国家づくりのために利用し、上賀茂神社は都を守る天皇を守る神さまと位置付けられていきます。

上賀茂神社の本殿は神が降臨したと考えられている神山(こうやま)の方を向いて建っています。
本殿などが建ち並ぶ境内は御物忌川(おものいがわ)と御手洗川(みたらしがわ)の2つの小川に挟まれた三角地帯です。

川は結界を表していて本殿などが建つ三角地帯は神の領域と考えられています。
2つの小川は合流して ならの小川と名前が変わりますが、三角地帯の外側は俗世界であり社殿は小川に沿って建てられて本殿とは全く違う方角を向いています。
こうした古代の形式を残しているのは上賀茂神社だけです。ちなみに下鴨神社はもう少し時代が下り社殿は整然として南面を向いています。

神代の時代から奈良時代、平安時代…と長い時代を経て社殿の建ち位置の形を現在に残している上賀茂神社は、仏教伝来以前の古代人のものの考え方や神さまをどのようにとらえていたのか…などを知ることができるすばらしい神社とのことです。

「歴史のなぞ」次回は10月第5週の10/31(木)10時台にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…

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