9/5(木)モニロケ785木曜日は高橋さゆりと三井麻莉子が担当しました。
毎月第1木曜10時台の「くさつ歴史こぼれ話」の時間には草津市歴史文化活用調整員の八杉淳さんにお話をおうかがいしています。
今回は草津市が今年10月に70周年を迎えるということで、草津市が誕生する際に合併した1町5村についてお話いただきました。
江戸時代は小さな村が単位でしたが、明治20年代に入ると内務大臣山形有朋を中心にして村をある程度の大きなまとまりにして行政組織として整えていこうと町村制度の整備が行われました。
現在の草津市周辺の地域では10の村に合併する案が最初に作られました。
萩里村、草津村、萱浜(かやはま)村、矢橋村、山田村、笠村、駒島村、物浦村、渋野村、青生(あおふ)村の10の村ですが、これは栗太郡というくくりでの合併だったので現在の大津や栗東、守山の一部も含まれていました。
ところが反対意見などが出てこの案は通らず、再度練り直して明治22年6つの村が誕生しました。
草津村〔草津、矢倉、大路井の合併〕→東海道,中山道が通る要衝の地
志津村〔馬場、山寺、岡本、部田(今の青地)追分〕→昔 志津の荘と呼ばれたことから命名
老上村〔野路、南笠、新浜、矢橋、橋岡〕→地域を流れる狼川の古名 老上川から
山田村〔北山田、山田、南山田、木川、御倉〕→昔 山田の郷と呼ばれた
笠縫村〔上笠、下笠、集、駒井沢、川原、野、平井、新堂〕→昔 笠縫の郷と呼ばれた
常盤村〔片岡、長束、上寺、下寺、下物、芦浦、穴、志那、志那中、北大萱〕→昔 磐村(いわむら)の郷と呼ばれたが磐に常を加え常盤(ときわ)
こうして36の小さな村が合併して6つの村が成立して住所は栗太郡〇〇村と表記しました。明治末期には草津村が草津町へと変わります。
やがて昭和29年に1町5村が合併して草津市となり今年で70周年を迎えます。
「くさつ歴史こぼれ話」次回は10/3(木)の10時台にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…