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10/3(木)モニロケ785 くさつ歴史こぼれ話

10/3(木)モニロケ785木曜日は高橋さゆりと三井麻莉子が担当しました。
毎月第1木曜10時台の「くさつ歴史こぼれ話」の時間には草津市歴史文化活用調整員の八杉淳さんにお話をおうかがいしています。

今回は草津市が10月15日に70周年を迎えることから、1町5村が合併して草津市が誕生する前後についてお話いただきました。

「常盤」の合併

全国的に町村の合併が進められていく中で人口が30000人あれば「市」になれることがわかり、昭和29年8月草津では合併について討議した結果 守山から常盤村を引き抜いて草津市を実現しようと意見が一致しました。常盤村も村議会で草津への合併を議決します。

「草津市誕生」

昭和29年9月11日合併の申請書を県に提出して県議会で合併案は可決され、10月15日草津、志津、老上、山田、笠縫、常盤の6町村が合併して人口32000人の草津市が誕生しました。
草津という名前は国鉄の駅名を始め、昔から東海道と中山道の分岐点で交通の要衝であり、東海道五十三次の宿場としてその名は広く知られていることから満場一致で「草津市」と決まります。

当時の新聞記事によると、午前10時の打ち上げ花火を合図に草津中学校講堂で県知事など合併の関係者約100人が列席して草津市役所の開庁式が行われたほか、祝賀旗行列が街を練り歩くなど多種多様な行事が催されました。また新市域内の5774戸へ「祝草津市発足記念」と染め抜いた風呂敷を配り、市域全戸をあげて草津市の誕生を祝いました。

草津市役所は旧草津町役場を使用し、旧の各村役場をそれぞれ支所にして行政を行いました。初市議会は10月21日に開催され、旧の町村会議員がすべてそのまま市議会議員となったため105人の多人数でした。
この時の草津市は「地道な田園都市の建設」を目標にしており、将来の計画として草津川の改修、工場を誘致するための立地条件を強化、名勝旧跡を生かして遊覧客を誘致などがあげられています。

「渋川」の合併

また栗東町に含まれていた渋川が草津市とのつながりが強いことを理由に草津市への編入を求めていました。住民200人がバスを連ねて県庁へ陳情にでかけるなどの紆余曲折を経て2年後の昭和31年草津市に編入することが決まり、現在の草津市の形が出来上がりました。

草津市の近代化

やがて昭和38年名神高速道路が栗東~尼崎間で開通したり、鉄道も電化・複線化されたりと草津市を取り巻く状況もどんどん変化してきます。
工場が次々と誘致され、京阪神のベッドタウンとして人口も増えて都市化が進んでいきます。南草津駅も開業して草津市は県下で最も勢いのある街になっています。

草津市が誕生した時は「地道な田園都市の建設」を目標にしていましたが、70年を経た現在その姿は大きく変わってきています。

「くさつ歴史こぼれ話」次回は11/7(木)の10時台にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…

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