12/5(木)モニロケ785木曜日は高橋さゆりと三井麻莉子が担当しました。
毎月第1木曜10時台の「くさつ歴史こぼれ話」の時間には草津市歴史文化活用調整員の八杉淳さんにお話をおうかがいしています。
「ええじゃないか」騒動とは?
今回は幕末の慶応3年(1867)旧暦の10月11月頃から年末にかけて突如として起こった「ええじゃないか」についてお話いただきました。
神社やお寺の御札が天から降ってきたことをきっかけに「ええじゃないか、ええじゃないか」というお囃子(はやし)に合わせて老若男女が熱狂的に踊り始めます。
幕末から明治維新へと時代の変革期だったこともあり「世の中が変わってほしい」と世直しを熱望していた民衆の大衆運動として江戸から西の地域で大流行しました。
こうした情報は街道筋を伝播していき、町や村ごとに男が女に女が男に仮装して朝から晩まで働かずに何日も「ええじゃないか」と踊り続けました。
草津と周辺地域の「ええじゃないか」騒動の様子
草津宿では旅籠(はたご)に伊勢神宮の御札が降ったことから人々が集まり「ええじゃないか」の踊りになっていたところへ事情を知らない侍が泊まり、騒ぎに怒って群衆に切りかかろうとしたことや、侍にも踊りを勧めたところ仕方なく一緒に踊り始めたことが記録に残されており、その当時の一種独特な雰囲気が伝わってきます。
また庶民の日記によると慶応3年(1867)10月25日に京 大阪に御札が降り、その後草津の渋川村に立木神社に関係のある春日神社の御札が降ったこと、さらに12月19日には上笠 野村 下笠の各村にも御札が降ったと書かれていて、草津宿から周辺の農村にも「御札降り」や「ええじゃないか」が広まっていった様子がうかがえます。
そして三河 尾張では御札とともに仏像 仏画 金塊なども降ってきたとの噂も流れ「ええじゃないか」の狂喜乱舞でよその家に上がり込んだり泊まったり…と無礼講でもありました。
江戸時代には伊勢神宮にお参りをする「おかげまいり」の習慣が60年に1回めぐってきて、日本中から大勢の人々がお伊勢さんをめざして施しを受けながら大移動したのですが、この「おかげまいり」と幕末に突如起こった「ええじゃないか」とが関わりがあるかどうかを明確にするのはなかなか難しいとのことです。
「くさつ歴史こぼれ話」次回は来年2月6日(木)の10時台にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…