4/3(木)モニロケ785木曜日は高橋さゆりと三井麻莉子が担当しました。
毎月第1木曜10時台の「くさつ歴史こぼれ話」の時間には
草津市歴史文化活用調整員の八杉淳さんにお話をおうかがいしています。

今年が昭和100年にあたることから今回も昭和初期の人々の暮らしについてお話いただきました。
娯楽面では旅回りの芝居小屋だった大正座が活動写真の常設館へと変わり、弁士が説明する無声映画が上映されるようになります。当時の新聞によると、人々の映画熱は素晴らしくチャンバラや娘の恋のシーンは人気を集めたことが記事になっています。
映像を通して欧米の文化が広がり始めました。
またカフェも草津町だけで10軒もできます。都会をまねた薄暗い室内装飾の下でジャズのレコードが流れるようなお店でした。中にはステージを設けてジャズバンドが演奏したところもありました。
昭和歌謡がはやり始めたのもこの頃です。
昭和6年には今のエイスクエアの所に滋賀県初の常設競馬場「草津競馬場」が開設され、2万人を収容する木製のスタンドも建設されました。各地から大勢の人々が草津駅に押し寄せ、当時の駅は東口しかなかったので西口に臨時の改札口も作られました。競馬場の写真が残されていますが、レース場を駆ける馬と騎手、それを見守るスタンドの大観衆の白熱した様子がうかがえます。
また駅前にはバスやタクシーも登場して、それまで人力車で移動していたのが大きく変化します。
草津ー守山間を乗合バスが走ったり、草津の循環バスが6銭均一で1日20往復して庶民の足となりました。
宿場町から少し離れたところに草津駅ができたので、草津川を越えた駅近くの大路井(おちのい)に商店や支店が移ってきて草津の中心となりました。娯楽施設「草津温泉」も大路井の草津川沿いに建設されます。木造3階建てのモダンな浴場で3階はカフェになっていました。
当時の写真を見ると驚くほどおしゃれな建物です。隣りに映画館「文栄座」も開業して、2つの施設は連携して大いににぎわいました。
また草津駅からは遠く離れるのですが、常盤にある「穴村のもんや」も昭和初期に最盛期を迎えます。
ここは墨灸(すみきゅう)という熱くないお灸を専門とする診療所ですが、子どもの夜泣きに効くと評判を呼び多くの人が訪れました。
京阪神から来る子ども連れのお客は浜大津から汽船に乗って穴村港で降り、貸し乳母車で歩くか乗合馬車で「もんやさん」へ向かいます。1日に1000人を超える人々が押し寄せて、穴村港や診療所近くにはお店も建ち並び大変なにぎわいでした。
昭和に入ると人々の暮らしや購買活動にも大きな変化が表れてきますが、昭和10年ころから戦時色が影を落としてきて、戦地で戦う人を銃後で支援する時代へ移り変わっていきます。
「くさつ歴史こぼれ話」次回は5/1(木)10時台にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…