9/4(木)モニロケ785木曜日は高橋さゆりと三井麻莉子が担当しました。
毎月第1木曜10時台の「くさつ歴史こぼれ話」の時間には
草津市歴史文化活用調整員の八杉淳さんにお話をおうかがいしています。

今年が昭和100年にあたることから今回も昭和初期の人々の暮らしについてお話いただきました。
今回は草津を襲った室戸台風についてお聞きしています。
室戸台風は昭和9年9月室戸岬に上陸し大阪、京都、滋賀を通過して若狭湾に抜けた猛烈な台風でした。
大津では瀬田川の鉄橋上で急行列車9両が脱線、転覆するという大事故が起きています。
草津町(当時)の近隣では山田小学校が、危険を感じて生徒たちが避難していた第1校舎が倒壊して約500名が下敷きとなり、死者17名、重傷5名、負傷者81名という空前の悲惨な事故となりました。
台風当日の山田小学校では午前8時頃に西風から南風に変わって、強風が窓に打ち付けられ校舎が揺れ始めます。
天井板が波打ち、壁が落ち、ガラスが飛ばされ、屋根瓦が舞い散るという状況となり、ついに倒壊した校舎で土ぼこりの中泣き叫び、助けを求める声が響く修羅場でした。
負傷した生徒たちはお寺に次々と運び込まれ大惨事となりました。
山田小学校の被害金額は当時のお金で約2万円と見積もられました。
翌年には犠牲者を悼む追弔法要が営まれ、天皇陛下の名代として侍従が参列して1494円がお見舞金として贈られました。また県が集めた義援金の名から3000円が山田村に支給されました。
その後しばらくは近くの寺社など臨時の教室で授業をしていましたが、台風から2年後の昭和11年10月に校舎4棟の新築工事が完了しました。
今でも山田小学校では毎年9月に慰霊祭を行っています。
室戸台風は地元では山田小学校の倒壊が最大の被害でしたが、その他にも各地の小学校や役場、草津駅などに小破損があったり、鞭先神社本殿の全壊、印岐志呂神社大楼門の倒壊など数多くの建物被害がありました。
さらに収穫前の稲作は平均2割の被害が出たほか、琵琶湖の水産関係や家畜の被害など地域に大きな損害をもたらし、自然災害の恐ろしさをまざまざと見せつけられました。
また昭和13年7月4日夕方には草津川の堤防が志津村の馬場で決壊して、応急処置後も翌日110m にわたって再び決壊して大きな被害となりました。
このような過去の災害経験から教訓を得て、改善や対策が講じられてきました。
天井川となった草津川を付け替えて平地河川化するという大工事も、長い期間をかけ完成して今に至っています。
「くさつ歴史こぼれ話」次回は10/2(木)の10時台にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…