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10/2(木)くさつ歴史こぼれ話「国税調査の歴史」

10/2(木)モニロケ785木曜日は高橋さゆりと三井麻莉子が担当しました。
毎月第1木曜10時台の「くさつ歴史こぼれ話」の時間には草津市歴史文化活用調整員の八杉淳さんにお話をおうかがいしています。

今回は今年10月に行われている国勢調査の歴史についてお話いただきました。

国税調査 いつはじまった?

日本で一番最初に作られた戸籍は670年天智天皇の庚午年籍(こうごねんじゃく)だといわれています。
その後江戸時代には宗門改帳を村ごとに作成して、誰がどこのお寺に所属しているか…で人口を把握していました。

近代的な国勢調査は大正9年(1920)10月1日に第1回が実施されました。
「国勢」とは国の勢いではなく全国の情勢という意味で、明治時代に統計院を設立した大隈重信が最初に使った言葉です。

調査 開始当時の様子

10月1日に実施されたのは暑くなく雪も降らず、当時人口の大半を占めていた農家の繁忙期でもないためこの日に決まりました。
たとえば栗太郡内では225の調査区に分かれて、調査区ごとに一人の調査員が決められます。
調査員は各方面を代表する人物、村会議員や町会議員などその地域の有力者が占めていました。

調査項目は氏名、世帯主との関係、性別、生年月日、職業、出生地などで現在とほぼ同じです。
ただし住民には国勢調査を十分理解されてなかったので、記念絵はがきやポスターなどを作成してPR活動が行われました。

調査票には「良い政治のもとを作るため行うもの」と目的が書かれ、10月1日午前0時時点での世帯員全員を記入するように指示があり、旅行中の人など様々な状況に応じた細かい注意書きもあります。
わからない点は国勢調査員に尋ねて間違いなく書き入れるとか、文字は墨または黒インクで書くことなど記入の心得も加えられていました。

国税調査開始 その後

国勢調査以前の戸籍をもとにした計算上の推計人口は、実際の人口より多くなっていましたが、国勢調査の結果で草津市域(当時の1町5村)では1316人減少しました。
昭和5年(1930)第3回の国勢調査は老上村では周知徹底のため、調査項目を歌に織り込んだ1から15までの数え歌「国勢調査宣伝田刈歌」が作られて調査への協力を呼びかけています。

国勢調査は終戦の昭和20年(1945)一度だけ中止されましたが、その2年後に臨時調査が実施されました。
現在そのデータは選挙区割りやコンビニの出店計画など様々に利用されています。

「くさつ歴史こぼれ話」次回は11/6(木)の10時台にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…

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