10/30(木)モニロケ785は高橋さゆりと三井麻莉子がお送りしました。
第5木曜日10時台は「歴史のなぞ」
滋賀県神社庁草津栗東支部長の宇野日出生さんにお話をおうかがいしています。
今日は大津市の蝉丸(せみまる)神社についてお話いただきました。

蝉丸さん
蝉丸神社にまつられている蝉丸は、百人一首に「これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」という歌が選ばれていることでも有名です。
ところが文献によると実在の人物ではなく、逢坂の関のあたりでセミの鳴き声のような声で歌うお坊さんがいた…という話から蝉丸として定着したと考えられています。
音曲芸道の神さま 蝉丸神社
江戸時代、蝉丸神社は三井寺(園城寺)の支配下に入っていました。
園城寺(おんじょうじ)は全国にいる芸能集団の管理をしており、上納金を納めれば証明書を出して彼らの身分を保証していました。
その園城寺の支配下にあった蝉丸神社は「音曲芸道の神さま」として全国から信仰を集める神社となります。
かつて蝉丸神社下社の境内には森進一と大原麗子の名前入り提灯が奉納されていました。
蝉丸神社下社は境内を京阪電車の線路が横切る全国的にも珍しい構造をしています。
参道に続く鳥居の目の前を電車が走り、参拝者は踏切を渡る必要があるという鉄道ファンには非常に有名な場所でもあります。
京阪京津線は逢坂の関をの急勾配を走る登山列車であり、その途中にある大谷駅は駅全体が傾斜していて、ホームのベンチは傾きに合わせて左右の脚の長さが異なっています。
浜大津周辺は路面電車であり、逢坂の関では登山電車となり、京都市内は地下鉄…と多様な形態で走行するため、4両編成で強力なモーターを搭載した車両製造コストは、新幹線よりも高額だと言われています。
また急カーブを通過する時は線路から水が出て音を抑える仕組みになっています。
蝉丸神社へは車ではなく、京阪を利用して境内を横切る電車や逢坂の関の急勾配…などそのユニークな特徴を体験することをお勧めします。
「歴史のなぞ」次回は来年1/29(木)の10時台にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…