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11/6(木)モニロケ785 くさつ歴史こぼれ話 草津市の学校施設整備の変遷

11/6(木)モニロケ785木曜日は高橋さゆりと三井麻莉子が担当しました。
毎月第1木曜10時台の「くさつ歴史こぼれ話」の時間には草津市歴史文化活用調整員の八杉淳さんにお話をおうかがいしています。

草津市の学校施設整備の変遷について

今回は草津市の学校施設整備の変遷についてお話いただきました。

草津市は昭和29年(1954)10月15日に市制が施行されましたが、旧の町や村ごとにあった小・中学校の統廃合は行われませんでした。
たとえば志津村の志津小学校はそのまま草津市立志津小学校になりました。

昭和30~40年代

昭和30年代は戦後のベビーブームで生まれた子供たちが小学校に入学するころで、どこの学校も戦前からの木造校舎の老朽化が目立ってきました。
常盤小、山田小、志津小などで木造校舎の増築が行われました。

やがて30年代後半から40年代に入ると2階建ての鉄筋校舎が相次いで整備されます。
昭和39年(1964)に開催された東京オリンピックを記念して老上小や山田小ではプールを新設しています。
昭和45年(1970)には大阪万博が開催されて、草津市内の小学校5・6年と中学生が学校単位で全員万博に行く取り組みを実施しました。

昭和50年代~現代

昭和40年代後半から50年代には工場の誘致や京阪神のベッドタウンとして草津市も開発が進み、人口増加が著しくなります。
児童数の急増で校舎の増設だけではまかないきれなくなり、新たな学校の増設が進みました。

まず草津小から草津第2小が分離したほか、老上小から玉川小、草津小から矢倉小、笠縫小から笠縫東小がそれぞれ分離して、昭和53年には小学校が4校増えました。
現在はさらに志津南小、南笠東小、渋川小、老上西小と合わせて14校に増えています。

また中学校も草津中から老上中と高穂中が分離したほか、松原中から新堂中、老上中から玉川中がそれぞれ分離して現在6校になっています。
高校も昭和53年草津東高校、昭和57年湖南農業、昭和58年玉川高校が新設されました。

草津市は人口増加と共に学校が増えて、小中高すべてで教育施設も充実して多くの子どもたちが学べる環境が整っていきました。

「くさつ歴史こぼれ話」次回は12/4(木)の10時台にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…

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