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12/4(木)モニロケ785 くさつ歴史こぼれ話 交通の発達で発展する草津

12/4(木)モニロケ785木曜日は三井麻莉子が担当しました。
毎月第1木曜10時台の「くさつ歴史こぼれ話」の時間には草津市歴史文化活用調整員の八杉淳さんにお話をおうかがいしています。

草津のまちの発展に影響を与えた交通の発達について

鉄道の発達

もともと宿場町であった草津は、草津駅ができたことで駅を中心にまちが移ってきました。
大きな変化の一つの契機となったのは、昭和31年に京都ー草津間が電化されたことでした。
40分ほどかかっていたのが25分に短縮され、10月12日に試運転が行なわれた際には花火が上がり、中学校のブラスバンド部の演奏があったりと祝賀ムードに包まれたそうです。

このことによって通勤が容易になり、市街地が発展。
琵琶湖側には260mのプラットフォームも作られました。
また、この頃草津線もディーゼル化され、草津ー柘植間は7分短縮されたそうです。

もう一つの大きな変化として、昭和45年には複々線化がありました。
京都ー草津間の電車の本数も増え、大阪万博もあったり、少し前からは新快速も走り始め、草津がより便利になってきたのです。昭和42年頃には今の草津駅のように橋上化され、改札口が2階になり、翌年には西口も開業。琵琶湖側も栄えてきました。

高速道路、新幹線、近江大橋の開通

一方、昭和30年代には名神高速や新幹線も開通し、栗東インターチェンジの近くには工場、新幹線沿線には乗客への宣伝効果を狙う大きな工場や看板などが設置されました。
昭和49年に開通した近江大橋も車の利便性が高まり、周辺にショッピングセンターができるなど発展をとげています。

草津のまちの発展にはこうした様々な交通の発達が大きく影響を与えていました。
これからはまちの見方もちょっと変わりそうですね!

次回は2026年2月5日(木)です。どうぞお楽しみに。

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