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4月 草津レポートこちら

4/1(木)モニロケ785木曜日 放送後記「くさつ歴史こぼれ話」

4/1(木)モニロケ785木曜日は高橋さゆりと金田まりこが担当しました。

毎月第1木曜10時台の「くさつ歴史こぼれ話」の時間には
草津宿本陣と草津宿街道交流館の館長 八杉淳さんにお越しいただきました。

今回は今満開に咲いている桜をテーマに「草津川の桜の歴史」についてお話いただきました。

江戸時代、歌川広重の浮世絵にも名所百景として京都の嵐山や近江の三井寺の桜が描かれています。
春になると多くの人が花見に出かけるのは江戸時代も現代も変わらないようです。

草津川の桜は明治43年3月草津小学校の卒業記念として、当時の深尾平八校長が草津川の堤防に楓と桜を植えて人々の憩いの場にしようと考えたことが始まりです。

学校からの支出金と保護者からの寄付を合わせて28円8銭のお金が集まり、もみじ100本吉野桜200本を購入して卒業生とともに草津川の堤防に植え付けました。この年から毎年3月に卒業生が1人1本の割合で植樹することになり、大正4年3月まで6年間継続して行われ草津川橋から西へ1Kmの長さになりました。

植え付けした後、校長は児童や先生とともに水を運ぶ作業を続けたり肥料を与えたりと懸命な努力のおかげで根付くようになります。ところがせっかくの木を引き抜いたり折ったりする心無い人もあらわれ、桜の維持管理をどうしていくのかが当時の草津町議会でも問題になりました。

草津川の桜は江戸時代の草津宿のころからあったわけではないのですが、明治時代の日清日露戦争の後に植樹が始まりやがて桜が咲いて草津の人々の心を癒しました。

枯れた木を植え替えたり新たに植樹したりしながら守ってきた桜並木ですが、戦後間もない昭和23年桜の開花に合わせて「桜まつり」が始まりました。草津川の堤防に紅白の幕を張りぼんぼりをつけて人々はお祭りを楽しみました。

桜の開花は年によって違うことから「桜まつり」は昭和44年から「草津宿場まつり」へと形を変えて今年で53回を迎えます。

平成18年には草津市桜憲章が制定されて「桜を大事にして桜並木を生かしたまちづくりをしていこう」と宣言しています。
桜前線を全国ニュースで取り上げて開花を楽しみにするのは日本独特の風習であり、日本人の心と深く結びついて昔から親しまれてきました。草津市の桜の名所「草津川の桜」には憩いの場所を作ろうとした人々の思いが込められています。

「くさつ歴史こぼれ話」5月はお休みをいただいて次回は6/3(木)にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…

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