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5月 声の広報こちら

3/31(木)モニロケ785 「災害と神社」

3/31(木)モニロケ785は高橋さゆりと北村美和がお送りしました。

第5木曜日10時台は「歴史のなぞ」

栗東市小槻大社宮司でこの4月から草津市小汐井神社の宮司も務められる宇野日出生さんにお話をお伺いしています。

災害と神社

今回は「災害と神社」をテーマにお話いただき、神社が災害にあった具体的な事例を2つあげられました。

①平安時代の滋賀県の大地震

1つは平安時代の終わりに滋賀で大地震が起こった話です。

湖西の南部を震源地とするマグニチュード7強(今の数字に換算すると)の地震が発生して、琵琶湖の水が全部北に行って大津波となりました。

その津波について京都の公家の日記には「近江の湖水、北に流る、水減り……後日に元のごとく岸に満つ」とあり、湖水が北に向かって押し寄せ、水位が下がったことがわかります。

また鴨長明の方丈記では「山はくづれて河を埋(うづ)み、海(琵琶湖)は傾きて、陸地をひたせり……」と書かれ、津波が発生して陸地が水没したことが記されています。

このとき琵琶湖の港町として栄えた塩津には5~7mの津波が押し寄せ一気に水没して大災害となりました。

港の人々の信仰を集めた神社も倒壊したのですが、平成18年の発掘調査で突如地面の下から平安時代後期の町や神社の跡が姿を現しました。

神殿が北向きに倒れていることから南から津波に襲われたことがわかり、神像や多くの木札なども出土しました。

木札は日吉大社、建部大社など近江の有名な神さまにお願いをした御祈祷の札であり当時の信仰のようすがうかがえます。

湖西には断層がありその南で地震が起きると琵琶湖の水が津波となって湖北に行くという事実を当時書かれた記録と遺跡が教えてくれます。

②平成25年豪雨による神社の災害

神社が災害にあった事例2つ目は平成25年台風18号による豪雨で栗東市安養寺山が崩れ、五百井(いおのい)神社が瞬時に土砂で消滅してしまったことです。

神社の前も水没して鳥居が水中に立っている状態でようやく水が引いたのは2週間後でした。

この五百井神社は宇野先生が宮司を務められていますが自然災害の恐ろしさを実感されたそうです。

すべて埋まってしまった中を氏子総出で捜索したところ、ご神像と狛犬が奇跡的に無事発見されました。

どちらも先代の宮司しか見たことがな貴重な品で、ご神像は平安中期、狛犬は室町時代の物であり今は指定文化財として保管されています。

現在は盛り土をした上に新しい社殿が建てられましたが、災害と復興を通して宮司や氏子の結びつきが強くなったそうです。

災害・疫病から生まれた信仰

今回の2つの事例だけではなく過去には山のように災害があったわけですが、中でも人々が最も恐れたのは疫病でありそれを退散するために信仰が生まれ、祇園祭のような盛大なお祭りを行い現在の伝統芸能につながっていきます。

災害や疫病はある意味では偉大な遺産や歴史を残してくれるという見方もできます。

京の都は公家など文字を書ける人が多かったので過去にどんな災害があったのかの記録がいくつも残されています。

こうした文献を見ていくとどの程度で災害が起きるのか予測ができ、実際いつ地震が起こっても不思議ではないとのことです。

「災害は忘れたころにやってくる」日ごろからの心構えが大切です。

「歴史のなぞ」次回は6/30(木)の10時台にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…

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