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4月 草津レポートこちら

12/1 モニロケ「くさつ歴史こぼれ話」 草津競馬場と草津駅前の発展

12/1(木)モニロケ785木曜日は高橋さゆりと三井麻莉子が担当しました。

毎月第1木曜10時台の「くさつ歴史こぼれ話」の時間には

草津宿本陣と草津宿街道交流館の館長 八杉淳さんにお話をおうかがいしています。

今回は草津駅前の現在アルプラザ草津とエイスクエアがあるところに昔造られた草津競馬場についてお話いただきました。

昭和6年 草津競馬場の開設

昭和6年(1931)昭和の御大典(天皇の即位)の記念として草津競馬場が開設されました。これは地方競馬法に基づいて設置された県内では初めての常設競馬場でした。木製のスタンドで2万人が収容できる相当大きな競馬場であり、昭和20年代後半まであったので実際に目にした方もおられるかもしれません。

最初のレースは昭和6年6月6,7,8日の3日間に開かれました。当時草津駅は平屋で東口しかなかったのですが、競馬のある日は臨時で西口も作られ滋賀県だけではなく京都や大阪から多くの人が草津を訪れました。そのため臨時列車や定期列車の車両を増やして対応しました。

列車が着くたびに人々は争うようににホームに飛び降り競馬場に向かって急ぎました。駅前には大アーチが立ち、家々の軒には提灯がつるされて草津の町はお祭りのような騒ぎでした。

駅前という地の利の良さもあって初日が7000人、2日目は1万人以上の人出となりました。当時の草津町の人口が約7500人であることを思えばいかに大勢の人が草津にやって来たかがわかります。多くの人がお金を使ってくれたので経済効果も相当ありましたが、その一方で無銭飲食などのトラブルや風紀の乱れもあったようです。

戦後の草津競馬場とその変容

やがて戦争が激しくなると娯楽の状況ではないということで取り締まりが厳しくなり、昭和15年9月から鍛錬馬競争と軍隊式に名前を変え規模を縮小して開催していました。昭和19~21年は中止されています。戦後再開するものの京都の淀や兵庫の園田に新たに競馬場ができたこともあって京阪神からの客足が遠のいていきます。

すっかりさびれた競馬場は昭和26年に廃止され昭和29年に県立農業試験場の養鶏場となり、昭和32年には草津市が誘致した第1号の綾羽紡績(株)草津工場となりました。駅に近い広い場所ということで労働力が確保でき製品を出荷するのに貨物列車に積み込みやすいという利点から工場が誘致されました。

しかし自動車社会となりトラック輸送が盛んになると高速道路のインター周辺に工場が移転し、駅前に残された土地はショッピングセンターになります。

時代の変遷とともに土地の用途が変わっていくのは草津市だけではなく滋賀県には同じように駅前が変わったところが多いです。

次回「くさつ歴史こぼれ話」は来年1/5(木)の10時台にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…

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