6/5(木)モニロケ785木曜日は高橋さゆりと三井麻莉子が担当しました。
毎月第1木曜10時台の「くさつ歴史こぼれ話」の時間には
草津市歴史文化活用調整員の八杉淳さんにお話をおうかがいしています。

今年が昭和100年にあたることから今回も昭和初期の人々の暮らしについてお話いただきました。
今回は草津の商業の中心がどのように変わっていったかについてお聞きしています。
江戸時代のお店は草津の宿場町にありましたが、明治に入り草津川をくぐるトンネル(草津マンポ)が開通して、明治22年草津駅ができると駅の利用も増え、お店も駅周辺へ少しずつ移り始めます。
大正時代には草津マンポの駅側にある大路井(おちのい)地区に商店の連盟ができて商業の発展に努めるようになり、商店が駅に向かって伸びていきます。
また草津温泉や文栄座という映画館など娯楽を提供する場も登場して人の流れができてきます。
当時街頭ラジオが草津に6台ありましたが、そのうち3台が駅に近い大路井地区にが置かれました。
さらに駅周辺には江州メリヤスや近江帆布といった工場も進出してきます。労働力を確保し製品を出荷するためには駅近くの立地が必要だからです。
こうして多くの人が駅前に集まり買い物をするようになってきます。
昭和初期の新聞広告を見ると、大路井地区では金物、綿屋、雨具、下駄屋、レコード、蓄音機、本屋、食堂など様々な商売が営まれていることがわかります。
後に発見された16ミリのフィルムによるとカフェや床屋、銀行などの広告が登場し、無声映画なので弁士がCMをしたようです。
面白いのは東洋一の連鎖店(チェーン店)という宣伝文句もありました。
駅近くにお店が移っていったとはいうものの、昭和初期は旧の宿場町にある昔からの商店で買い物する近隣の人々も多く、街道に沿って商店が軒をつらねていました。
年末の歳の市には車などの通行が止められ、露店も立ち並んで数百件のお店で大変にぎわいました。
「くさつ歴史こぼれ話」次回は7/3(木)10時台にお送りする予定です。どうぞお楽しみに…